氏 名
矢崎 和忠
 所 属
東燃清水OB会
 掲 載 日
令和04年09月24日
表 題

 武田氏館跡・甲府城を訪ねて

本   文 

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり”

 人の和こそ最大の武器であり、最大の楯であると信じた武田信玄。人材を重視した信玄は、城にはあまりこだわらなかった印象です。

 『御城印』を求めて、今回は山梨県甲府市の『武田氏館跡(武田神社)』と『甲府城』を訪ねてみました。

 武田氏館は一般的には躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)と呼ばれていて、戦国大名の武田信虎・晴信(信玄)・勝頼の三代が居住した館です。 主郭(しゅかく)を中心に、野面積み(のづらづみ)の石垣と堀、土塁に囲まれた曲輪(くるわ)が配置されています。

 甲府城は武田家滅亡の後に豊臣秀吉の命により築城されました。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたと言われています。甲斐府中(=甲府)の始まりです。徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたようです。

 かつては広大な城郭だったようですが、現在は中央本線と身延線の甲府駅を挟んで、城跡の南側が「舞鶴城公園」、北側が「甲府市歴史公園」として開放されています。特急“あずさ” “かいじ”や、身延線の“ふじかわ”が城跡に吸い込まれていくようです。

写真説明
 写真-1:武田神社 参道
 写真-2:武田神社 本殿
 写真-3:山手門(やまのてもん)甲府城にあった3つの出入口の1つです。
 写真-4:中央本線を挟んで山手門側から見た稲荷櫓(いなりやぐら)
 写真-5:甲府城本丸の石垣
 写真-6:御城印:武田氏館跡・躑躅ケ崎館・甲府城

以上 

       
 
写真-1
 
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写真-5
 
写真-6
 
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