氏 名
井出 英生
 所 属
東燃清水OB会
 掲 載 日
令和03年05月24日
表 題

 九州も良いね

本   文 

  前から是非見たかった佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の築いた肥前名護屋城を訪ねて来ま した。折角ですから福岡の大宰府政庁跡、長崎も久しぶりに行って来ました。

 私の家(城ヶ崎海岸)から博多までは伊豆急行、伊東線、新幹線を乗り継いで6時間ちょっとで行くのですが名護屋城までは更に4時間ほどかかります。
 福岡に2泊して「漢委奴国王」の金印発見地である志賀島と大伴旅人や菅原道真とも縁の深い大宰府政庁跡をついでに見てきました。
 日本は狭いようで意外に広い。新幹線で岡山を出てしばらくすると山の形状が変わってきます。
 石灰岩がごつごつしている山肌にアカマツの林が多くなる、山口県に入ると住宅の屋根が赤瓦になるなど関東、東海地方とは明らかに違ってきます。
 岡山、福岡などの大都市は東京、横浜とそれほど違わないのですがスーパーで売っているものはやはり少し違うところは面白いと思いました。

 名護屋城は博多から地下鉄、JR線と乗り継いでどん詰まりの西唐津駅まで行き、そこか らバスで山道を走って呼子温泉の近くまで1時間ほど行った、「よくもまあこんな辺鄙なところに作ったもんだ」と思うような場所にありました。
 城は島原の乱の後2度と利用されないように破却されたとか、明国、朝鮮との外交上の理由で徳川幕府によって壊されたとか言われていますがとにかく今は巨大な石垣や朝鮮の役に出陣した武将たちの陣屋跡などしか残っておらず、石垣の上に民家が建ったり周辺で野菜を栽培していたりと往時の面影は心の中で思い浮かべるしかありません。
 万葉歌人によって花開いた大宰府(地方文化の拠点)権力者の欲望が多くの民を苦しめた名護屋城(軍事国家の拠点)両方とも歴史の中に埋もれてしまって今は礎石、石垣しか残っていません。

写真説明
写真1 亡妻(つま)を恋い 都を想い酔い泣きす 万葉歌人の歩みしところ(大宰府政庁跡)
写真2 人は去り 宴の址も残らねど 花は昔と変わらずに咲く(大宰府政庁跡)
写真3 権力の怖さを思う 朽ち果てし巨城の跡に瓜の花咲く(肥前名護屋城跡)
写真4 我もまた古りにし人か 英傑の破れし夢を 想えば悲しき(肥前名護屋城跡)

以上 

     
 
写真1
 
写真2
 
         
     
 
写真3
 
写真4
 
写真をクリックすると拡大写真が見られます