氏 名
寺澤 巌
 所 属
東燃清水OB会
 掲 載 日
令和2年12月08日
表 題

 懐かしい東燃時代

本   文 

 昭和29年8月東燃に入社し、和歌山工場ボイラー係に配属。次に、ハイドロフォーマーに配属。石油工場の中心部だが、パイプラインも複雑で運転も難しかった。寮生活も懐かしい‼テニス、卓球そしてダンスと楽しい青春時代を過ごした。

 昭和34年清水工場に赴任。固定式改質係に配属されスタートアップグル-プで教育を受けた。活気に溢れており無事スタート出来きた。このころ、高校時代の友人青木道夫さん(日本平ゴルフ場クラブチャンピオン数回)のお誘いで、ゴルフ練習所に行った。

 それを機にゴルフに打ち込み、暇さえあれば会社の練習場に通って先輩の指導を受けた。(筆おろしは池田環安全部長(当時)、指導者は奥田事務部長(当時)。

 昭和46年に沖縄のスタ-トアップグループ(リーダー長浜氏)で1年間応援出張した。翌年、シャットダウンの応援に和歌山工場の森さんと2名で行った。現地の従業員は立派な運転員になっていた。その後、職場も改質係から港湾係、守衛所そして環境課に変わった。昭和48年の七夕豪雨で床上浸水した際には、勝谷工場長から心温かいお見舞い受け感激した。

 平成5年、むつ小河原石油備蓄(東京本社)に配属なった。現場から事務系で、最初は大分戸惑ったが、同僚の神崎さんや前任者の大鹿さんがよく面倒を見てくれて助かりました。全国の備蓄基地の防災訓練視察等で出張が多かった。海外備蓄会社の状況視察にも参加した(ヨーロッパ)。東京での勤務は雰囲気も自由で明るく、楽しく過ごせた。平成12年に東燃を退職した。その後、東燃清水敷地内の海洋バイオ研究所にオペレーター勤務した。平成15年に会社は解散し、勤務は67歳で終了。

 各職場で素晴らし上司と仲間に恵まれ幸せでした。東燃に勤めたことが、私にとって最高で現在も安心して生活出来ることに感謝しています。会社生活が終了し、ゴルフ”東燃富士ロイヤル会”を結成した。私は平成29年に81歳で打止めした。

 現在は午前中清水テルサ(スーポツジム)で、体力維持に汗を流しています。午後からはTVで昔の名画(鉄道員、エデンの東等々)を初めて見るような感動で鑑賞しています。


  写真-1:和歌山工場時代
  写真-2:富士ロイヤルゴルフクラブで

以上 

     
 
写真-1
 
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