氏 名
小長谷 裕工
 所 属
東燃清水OB会
 掲 載 日
令和02年07月01日
表 題

 首塚稲荷神社

本   文 

 私の住む清水区草薙地区にある「首塚稲荷神社」を紹介いたします。

 拙宅は神社のすぐそばで、大変畏れ多いと思うのですが、神社参道に、拙宅および両隣あわせて九軒が背を向けて建っています。現在、神社のある丘一帯は、昭和・平成・令和と住宅が押し寄せ神社の影を薄いものにしていますが、その以前人家はなく一人神社が鎮座する「首塚の森」と呼ばれていたそうです。

 創建時期は不明。由緒に下記三つの伝承が・・・

①日本武尊東征のみぎりこの地方部族との戦いにおける戦死者の首を弔った首塚(草薙神社略記)。

②正治2年(1200年)梶原景時一族が鎌倉を退去し、京に向かう時、大内山(同じく清水区)で清水武士団に討取られているが、景時の嫡男、源太景季の名馬「磨墨」の首を刎ねたところ、この地に落ちたという伝説。

③文明8年(1476年)、今川義忠が遠州出征で討ち死にしたため、子の氏親(幼名竜王丸)派と、従兄弟の小鹿範光派で世継ぎ争いが起こった。この戦いでの戦死者の遺骨を村人が集めて弔った。因みにこの戦いに京の足利幕府から竜王丸生母北川殿の兄弟でもあった幕府申次衆の伊勢盛時、後の北条早雲が下向、氏親派に勝利させ、後北条氏(小田原北条氏)誕生の契機を作った。

 神社から北側の谷に流れる小川を「血流れ川」と呼ぶなど、おどろおどろしい感じはしますが、小生がこの地に来て、その手の祟り話は聞こえて来ません。いつの時代か稲荷を勧請し、首塚を稲荷神社として崇め、慰霊してきたので霊魂も穏やかに黄泉の国へ旅立つことが出来たのではないでしょうか。この地の民の優しさと力強さを感じます。格式もない神社を永年民間だけで今日まで維持しているのですから。

 毎年3月15日に、自治会から氏子が集まりお神酒をあげ、狐の好きなお揚げを焼いてお祭りします。しかし今年はコロナ禍で御多分に漏れず、感染拡大を恐れ中止となりました。

以上 

       
 
参道入り口
 
神社参道
 
鳥居
 
             
       
 
お社
 
案内板
 
境内の大楠
 
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