氏 名
田中 務
所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
令和02年01月01日
表 題

 喜寿を迎えて

本   文 

月日が経つのが早いもので、今を振り返れば喜寿を迎える年となりました。昭和36年に入社して57歳で早期退職まで会社でお世話になりましたが、当時は日本の成長期にあたり石油産業も装置の規模拡大と共に石油化学の会社が全国に建設される時代を迎えていました。

入社時東燃においても東燃石油化学(TSK)が設立され、装置の運転要員の必要性から和歌山工場からもTSKに転勤予定者がおり、早期に送り出すために3月1日から出社(アルバイト)し1か月の導入訓練を受け、4月に入社式が行われました。

また、昭和44年の芳香族製造装置(BTX)のスタートアップ時は、すでにOG-2がスタートアップしており、運転要員が足りずエッソ石油より現場実習に来ていた数名の方に応援してもらいました。運転開始後の3週間は残業時間が増加し厳しい勤務を経験しました。

昭和50年代に入りPS-4の建設が地元の反対によって実現せず、人員に余裕ができたため、国内外へのスタートアップ等の出向、及び若年者技能教育が行われました。

私も東亜石油(名古屋製油所)、カナダのSyncrude(タールサンドより原油を製造する会社)に出向を経験しました。また、若年者技能教育にも関わりました。

カナダでの経験は、多くの国の人達が生活しているので、習慣の違い、それぞれの付き合いについて裏表があること等、日本で得ることができない貴重な体験をさせてもらいました。

人との付き合いにおいても、Syncrude従業員2人がプライベートで東南アジア旅行時、その途中日本に立ち寄るとの連絡が入り、20年振りに東京で2日間旧交を温めました。また、若年者技能教育を担当した時には、新規採用されたMOOS従業員(10数名)が和歌山工場で現場実習したときに一週間お世話させてもらいましたが、20数年後、私がMOOSに出向したときに一緒に働きました。

縁とは奇なるもの何時どこで再会できるかわかりませんので、心遣い、気遣いを忘れずに接していきたいと思います。

以上 

   
 
総会にて 左から 倉方氏 川村氏 本人 
 
写真をクリックすると拡大写真が見られます