氏 名
立田 阿佐男
所 属
KSS OB会
 掲 載 日
令和01年10月16日
表 題

 喜寿を迎えて

本   文 

 先日のOB会で喜寿を祝っていただいた。同期のみんなと人生の節目を元気に越えられたことを嬉しく感じました。ここまで大禍なく過ごせたのも自分の回りの多くの方々の支援があったればこそであり、改めてありがたく思った次第です。
 ところで、今や「人生100年時代」の到来が現実となり、人口に占める65歳以上の割合も4人に1人を超えたとのことです。このような高齢化社会ですが、一方で年寄りとか老人という規範に押し込められない元気な人も増えています。現に全東燃OB会の会員動静でも、毎年、米寿、更に白寿を迎えられた先輩方が紹介されています。喜寿を迎えた私ですが、今日の社会では未だ若輩者の部類に属し、この先、枯れないよう努力しなければと思っています。

 話は変わりますが、9月1日の防災の日に当たり、某テレビ局が防災特集番組を放映しました。その中で、古い扇風機の自然発火を取り上げて、運転中の扇風機が突然燃え上がるシーンが流れたのです。以前にも同じことを見た覚えがありましたが、今回はなぜか切実に感じ、早速回っている我家の扇風機を点検しました。すると「設計上の標準使用期間10年」・「製造年2009年」・「使用期間を超えて使用されますと経年劣化により発火、けが等に至るおそれがあります」とモーター上部に印刷されているではありませんか。正に、うちの扇風機は今年が使用限度の10年目だったのです。秋口に入って涼しくなったら「今まで毎年良く回ってくれたよな。惜しいけれど君のお役目は終わったよ。」と、安全を考え処分することにしました。

  さて、では人間の使用期間を神様が定めているとしたら、何歳かと自問しました。
100歳?いや違う。使用期間とは扇風機のようにまだ寿命はあるものの、社会のお役に立てる期間を示すものではないでしょうか。 だとすれば、人間の使用期間はずばり75歳が適切ではないでしょうか。長寿社会の100歳と75歳とのスパンは、個人による差があるものの、寿命までの耐用期間であると考えます。
 耐用期間に入った自分は第一に震災のような極限状況がくることを覚悟し、第二に心身の経年劣化を自覚して生きていこうと思っています。その上で変に悟りきったり、何についてもいっぱしの意見をいえなくてもいいと気張らず、気軽に生きる道を歩めばと想う今日この頃です。

以上 

   
 
KSS-OB会懇親会にて
    (左から田村二三夫さん、本人、
久保田裕さん) 
 
     
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