氏 名
清沢 三彦
 所 属
東燃川崎OB会
 掲 載 日
令和01年07月16日
表 題

 喜寿を迎えて

本   文 

 喜寿を迎えた今、私の77年間を振り返ってみます。

 誕生は、第2次世界大戦中の昭和17年、信州の御嶽山の麓で産声を上げた。その頃の食事と言えば、麦御飯にさつま芋や南瓜を混ぜたご飯が主食で、山に行っては山菜を採り、川に入っては魚を取って副食とし、自然食で育った。

 遊びと言えば冬は自家製のスキ-や橇(そり)で飛び回り、下駄に一本歯を付けたスケ-トで滑りまくった。勿論スケ-トリンクなどは無く、農家の田んぼに水を入れて氷らせた自家製のリンクである。夏は川を堰き止めて手作りのプ-ルを作って真っ黒に日焼けして遊んだ。
又、戦後間もない時代なので、木を削って作った刀で近所の悪ガキとチャンバラごっこをして良く遊んだ事を思い出す。貧しいながら思い出の多い幼児期であった。

 小学校、中学校、高等学校を信州で過ごした私は、昭和36年右も左も解らないまま海の無い信州から煙を吐きながら走る蒸気機関車に乗って海の有る駿河の国、東亜燃料工業(株)清水工場に入社した。会社に入ってからの私の仕事は、約55年間オフサイトの設計業務に携わり、沢山の皆さんに助けられながら清水工場、本社、川崎工場、TTEC,MOOS、E/Mの油槽所等で色々な仕事をさせて頂いた。本当に良い会社で働かせてもらって幸せだったと感謝しております。

 退職後は地元の「スポ-ツ吹き矢クラブ」に所属して健康の維持に努め、パソコンサ-クルに所属して老化防止に励んでおります。又、友人と旅行して、美味しいお酒を飲んで楽しく過ごしております。
 今後は、健康の維持と老化防止に努め、女房や子供、孫、そして友達と一緒に旅行や食事会等を楽しんで、健康寿命100歳を目指したいと思います。

以上 

   
 
本年度川崎OB会懇親会時のスナップ
 
     
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