氏 名
 長谷川 明夫
 所 属
東燃本社OB会
 掲 載 日
平成28年06月16日
表 題

 喜寿を迎えて:よみがえる記憶

本   文 

 喜寿のお祝いありがとうございました。気持ちの上ではまだまだ若いつもりですが、外形的には間違いなく、この年齢になったようです。

  東燃に入社したのは昭和38年、半年間の試用期間を経て、正社員として和歌山工場に配属になった。東燃での生活で真っ先に思い出すのはこの和歌山工場での4年間。特に、昭和39年の10月に、職場の上司的な存在だったHさんに誘われて初めて北アルプスの穂高岳を縦走したときの感動は、途中の穂高小屋の小さな白黒TVで、東京オリンピックの女子バレーの決勝戦を見たことも含めて、私の今迄の人生の中でも最高の思い出のひとつ。

  その後、穂高など北アルプスなどに何度登ったことか。もう高い山に登ることはできないが、月に2回ほどのハイキングは、バードウオッチング、写真撮影、CDによるクラシック音楽鑑賞や映画鑑賞などとともに、今の私の大切な楽しみです。

  昭和42年に、中央研究所(当時)に転勤。当時、トヨタの要請で、東燃・中研はトヨタと自動車排気触媒に関する共同研究を行っていた。その関連で、昭和47年にトヨタの東富士研究所に出向、1年間ほどトヨタの社員として働いた。これが、64歳で現役を退くまで続いた私のトヨタとの長い関係の始まりだった。その後、再び中研に戻り、昭和51年には本社・製品開発部 (当時)に移動。以降、平成6年に55歳で東燃を自己都合退職するまで、7年半の名古屋駐在含めて、ずっとトヨタ関連の仕事だった。

 東燃退職後、アメリカを本社とするグローバルな化学系会社に入社したが、そこでの約9年間も、トヨタとの関係は私にとって重要な仕事の一つ。結局、34歳でトヨタ・東富士研究所に出向した時から、64歳で現役を退くまでの30年間、ずっとトヨタと一緒に仕事してきたことになる。平成15年に、この会社を退職したとき、トヨタの有志の人たちが、名古屋で盛大な送別会を開いてくれました。何人かのトヨタOBの人たちとは、今でも親しく交流しているが、うち一人は、今の私の無二の親友です。
77年間の人生の中心が東燃であったこと、そしてトヨタとの長いかつ深い付き合い。これは私の誇りです。

 写真:昭和39年10月、初めて登った北穂高の山頂にて、今は天国にいるHさんの撮影 

以上 

   
 
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