氏 名
 野々垣 顕彦
 所 属
東燃本社OB会
 掲 載 日
平成28年06月01日
表 題

 喜寿を迎えて:「7万バーレル」と梅哲ちゃん

本   文 

 この度は喜寿のお祝い、まことにありがとうございました。
 この写真は、有田市宮原町在住の梅本哲夫さんから送っていただいた地元紙の切り抜きで、有田川河口にある和工埋立地「有田A工区」の最近の様子です。私が入社した昭和38年ころから、実に半世紀も空き地のままでしたが、平成27年10月、ようやく、東燃ゼネラルと関西電力との共同事業で「有田太陽光発電所」として活用が始まったとのことです。

  「梅哲ちゃん」こと梅本哲夫さんにとって、この埋立地の動向は我が子のことのように、心配だったに違いありません。この土地は会社生活の最晩年に、梅本さんがなんとか会社の計画通りに活用したいと心血を注いだからです。そして、それは当時、二人三脚を組んだ私にとっても同じ思いです。

 梅本さんと私の出会いは、入社2年目、初めて和工に転勤した時です。私は勤労課勤務になり「組長会」の世話役となって、第一線監督者の大先輩に「可愛がられ」ましたが、その中に操油課の梅本さんもおられました。昭和47年、2回目の勤務で庶務課へ配属され、「和工PS4、7万バーレル増設計画」推進のため、県庁・市役所・周辺住民との折衝スタッフとなった時、地元に強い哲ちゃんもチームの一員になっていました。

 一先兵として働いた中で一番思い出深いのは、哲ちゃんの生地、宮崎町辰ヶ浜の漁師宅を、真冬の夜な夜な訪問して行った「オルグ」です。辰ヶ浜の入口から、哲ちゃんのバイクの後ろに乗って、集落の路地を走り、集まった人たちに「7万バーレルの必要性と安全性」を説明しました。そんな努力も空しく、市民や漁業関係者の反対と政府の設備投資凍結策で、計画は沙汰止みとなりました。結果的には余剰設備を抱えなかったという幸運となりましたが、広大な空き地が残りました。50年かかってやっと「太陽光発電施設」という「エネルギー装置」が実現したのは「遠い回り道」でした。

 私より一回り年長の哲ちゃんですが、引退後の現在もますます元気溌剌、辰ヶ浜で40年も「俳句教室」を続けたり、地元公民館長をしたりして活躍しています。日経新聞に毎週3句投稿するのを長年の習慣にしていますが、たまに日曜版の俳句欄に載った時は「やったね!」と電話を掛けるなど、なにかにつけ連絡を取り合っています。梅哲ちゃんとのお付き合いは生涯、続くことでしょう。

写真説明
 写真-1 辰ヶ浜から見た埋立地「旧有田A工区」(地元紙「2.1紀州」平成27年11月版)
 写真-2 横浜の野々垣宅の梅本さん(平成20年7月)

以上 

     
 
写真-1
 
写真-2
 
         
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