氏 名
 高垣 保夫
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成28年02月16日
表 題

 会報「OB会だより第15号」を読んで

本   文 

 千木良さんの「奄美の思い出」を懐かしく読ませて戴きました。私は、東燃が奄美大島進出
のための事前調査隊(だと思う)の和歌山工場から派遣の最後の一人として、真夏に二ヵ月間現地に行ってきました。
 今でも強烈に、しかも懐かしく思い出されるのは、現地の人たちとの交流です。借り上げ旅館(はとば旅館)に現地の人が毎晩遊びに来てくれました。2時間程、たわいもない話をしながら奄美の焼酎を飲んで(たまには取り寄せた日本酒で)お互いの気心を知り合いました。

 そんな毎日でしたが「現地の人たちには、これから大変お世話になるのだから、しっかり交流を深めなさい」との本社からの指示で、私も飲めない酒をお付き合いで飲み、現在のような大酒飲みに成長しました。奄美の人たちに感謝です。

 帰省のときポケットに入れて帰った、エダテク島の蘇鉄の実を育て、一時芽吹きはしたが南国紀州でも、みかん山の冷え込みが厳しいのか枯れてしまいました。それで家内が和歌山育ちの蘇鉄を買い求めて鉢に入れ、現在我が家の庭で奄美産の代役を務めています。

 定宿「はとば旅館」の隣のおばさんが、毎日大島紬を織っていたので(和歌山では当時でも
1ぴき(2反)70~80万円するとの事)、紬の反物でも買って帰ろうかなーと思って家内に相談したら、「そんなお金があるのなら私たちが行く」と言って、付き添い一人を伴って子供二人と総勢4名で慰問に来ました。そして見事な奄美の浜辺で、家族と一緒に海水浴を楽しみました。
もうこのような家庭サービスは出来ませんが、あの浜辺に行ってみたいなー。
千木良リーダーと奄美大島経験者で集いたいものです。それも現地で。

 写真説明
   写真―1 奄美産の代役を務める蘇鉄と私
   写真―2 我が家の玄関の南に連なるみかん山

以上 

     
 
写真―1
 
写真―2
 
         
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