氏 名
礒田 武志
 所 属
東燃総研OB会
 掲 載 日
平成26年09月01日
表 題

 八十里越

本   文 

 司馬遼太郎の「峠」をいつ読んだのか、粗筋もハイライトも定かには覚えていない。
河井継之助が北越戦争で敗走しなかったら、司馬遼太郎が「峠」を書かなかったら、私は八十里越を歩かなかったと思う。

 廃道マニアに同行して2013年9月に新潟県三条市吉ケ平から福島県只見町入叶津まで大雲沢ヒュッテのご主人のガイドで辿ってみた。

 小雨で濡れた秋の花が徒歩道を覆う。昔の街道・宿場の名残か、庚申塚や自然石標が要所の路傍に立つ。椿尾根までは歩きなれた里山道であった。そこを過ぎると、小沢と交叉する度に道は2011年豪雨で切断され、踏み跡が頻繁に街道筋から外れるようになる。

 ブナ沢に突き当たると道は深くえぐられ、合流する沢に寸断された上、高清水手前の沢で沼に沈んでいた。山津波に違いない。さらに進むと山斜面そのものが山崩れで消え去っていた。崩壊地を渡った先の廃道は秋草が覆う。事前刈り払いでどうにか掻き分けなくて済んだ。
小雨も上がり霧が晴れ、向こうに守門岳らしい山が見えた。八十里越は越後山脈を縫っている。ようやく鞍掛峠に、少し田代平に寄り道して会越国境の木の根峠に着いた。

 福島県側の街道跡は上越側よりはるかに歩き易かったが、鉄砲水が大きく抉った個所がある。ガイドに従い、化物谷地を通らずに大麻平の一角に辿り着いた。

 みどりの回廊説明看板の前から国道289線予定道路に登る。東天の木陰から雲間に半月が上がった。舗装道路をヘッドランプ頼りに随分歩いてようやく入叶津ゲートに到着した。吉ノ平から12時間半も掛ったことになる。

 河井継之助は、「八十里こしぬけ武士の越す峠」と詠んだという。将来、国道289号線が開通したら会越往来は楽になるだろうが、旧八十里越のトレッキングは一層困難になるに違いない。その方がマニアは喜ぶか。

 添付写真
  1. 廃校前には車数台 5:21
  2. 沢が街道を深く掘ってロープ頼りに上下 9:34
  3. 鞍掛峠へ 11:22
  4. 鞍掛峠に 12:28
  5.福島県側の街道跡は歩き易い 14:50
  6.八十里越入口目印は路肩の赤棒と電柱 18:06

以上 

       
 
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写真3
 
             
       
 
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写真5
 
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