氏 名
横倉 義
 所 属
東燃化学OB会
 掲 載 日
平成25年11月11日
表 題

 喜寿雑感

本   文 


 このたび東燃化学OB会において喜寿のお祝いをして頂きました。
皆様のご厚情がまことに有り難く、また嬉しく、厚く御礼申し上げます。

 私は1958年4月に東亜燃料に入社して以来、今日までの55年間を一貫して東燃グループの一員として、素晴らしい仲間たちと一緒に過して参りましたことを、非常に誇りに思っております。

 私が社会人になった当時の日本は、石炭から石油へのエネルギー転換が急速に進みつつあり、また石油化学産業が勃興期に入り始めた時期でした。
東亜燃料も1960年の川崎工場新設と石油化学事業進出を中心に高度成長の軌道に乗りました。まさに「坂の上の雲」の時代で、今日よりも明日、明日よりも明後日に夢と希望を抱き続けた20年でした。

 第1次石油危機の勃発を境に、日本の高度成長は終焉を迎えました。東燃グループも量的拡大から質的高度化へと舵を切替えて、その後の20年間は内容の充実に主点を置いたエクセレント・カンパニーを目指してきたように思います。
社名も東亜燃料から東燃へ、東燃石油化学から東燃化学へと変更になりました。これは会社の中身を変えてゆくのだ、という強い意思の表れだったのです。
しかし後半の10年間は、日本の基幹産業が国際競争力を失って行く中で、東燃グループも生き残りのために懸命の努力を続けましたが、衰退に歯止めを掛けることは容易ではありませんでした。

 20世紀末からの世界的規模の事業再構築のうねりに巻き込まれて、東燃グループの株主構成と統治形態が激変しました。外国資本は成長性を失った、高コスト構造の日本に関心を失って、日本離れが進みました。
21世紀初頭から、日本の石油と石油化学では基幹設備の能力過剰が顕在化して、設備の縮小廃棄が急速に進行しています。
これから10年後の東燃グループはどういう姿になっているでしょうか

 2001年に定年退職するまで東燃グループの成長と歩みをともにしてきた私は、今もなお東燃、東燃化学という会社に限りない愛着と誇りを抱いています。
OB会は私の心の故郷です。故郷には毎年必ず顔を出すつもりでおります。

 1940年創立の東燃がめでたく喜寿を迎え、1960年創立の東燃化学がめでたく還暦を迎える日の来ることを切に願っております。

 OB会の皆様のご多幸をお祈りいたします。

以上  

     
 
OB会総会・懇親会の席上  左 本人
 
妻と娘一家のいるインド訪問
孫たちとタージマハールで
 
         
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