氏 名
粟田 幹
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成25年11月18日
表 題

 高野山町石道ハイキング

本   文 

 紅葉を求め、高野山への過酷な町石道ハイキングを行いました。歩行距離は、万歩計で約4万歩(約26km)であり、歩行時間は、休憩を除き7時間でした。おかげで足の筋肉痛が3日間続きました。

 コースは、九度山町役場に車を駐車しておき、町石道スタート地点の慈尊院(写真1)で安全祈願を行い出発です。約一時間で、九度山町を一望できる展望台(写真2)に到着、その後、136町石の六本杉峠から一旦下山し、丹生都比売神社(写真3)に寄り道しました。

 昼食をとり再び町石道の二つ鳥居(写真4)を目指し永遠と続く杉並山道と、弘法大師の伝承を伝える三石「袈裟掛石」(写真5)や「押上石」、「鏡石」を確認しながら、最後に急な山道を登りきって高野山大門へと到着しました。高野山内の1町石周辺の紅葉(写真6)がきれいでした。

 帰りは、金剛峯寺よりタクシーで高野山ケーブルカー駅に行き九度山駅まで電車に乗って下山しました。


 高野山町石道についての詳細は、以下の通りですので、参照して下さい。(かつらぎ町観光協会の了承を得て、ウェブサイト「世界文化遺産 高野山参詣町石道 祈りの道」より抜粋)

 「高野山町石道は、弘法大師空海によって高野山の開創直後に設けられた参詣道で、紀ノ川流域の慈尊院(海抜94m)から高野山壇上伽藍(同815m)を経て高野山奥の院弘法大師御廟に至る高野山への表参道です。

 町石道が開かれた当初、弘法大師はこの道沿い一町約109mごとに木製の五輪卒塔婆を180町建立したとされます。文永3年(1266)以降は、鎌倉幕府の有力御家人、安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの広範な寄進により朽ちた卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され、ほぼ完全な形で今日に遺されています。町石道は、全長約23km(うち高野山内4km)の道程です。」

以上   

       
 
慈尊院
 
九度山町を一望
 
丹生都比売神社
 
             
       
 
二つ鳥居
 
袈裟掛石
 
1町石周辺の紅葉
 
             
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