氏 名
柳 正二
 所 属
東燃化学OB会
 掲 載 日
平成25年11月18日
表 題

 退職後の歩み (喜寿を迎えて)

本   文 


 今年のOB会で喜寿のお祝いをいただき有難うございます。

 ホームページ担当者からこの際内容は自由だから一文を寄せて欲しいとの依頼を受けました。長寿者といわれると、少し違和感を覚えるほど元気で日常を過ごしておりますが、退職(1994年4月)後の暮らしぶりの一端を紹介することといたしました。

§モスクワへの短期留学
 1994年8月の約1ヵ月間モスクワの大学でロシア語短期講座を受講した。ロシアへ行くのは初めてだったが若いころ19世紀のロシア文学を読んでいたのと、ソ連崩壊後のロシアを覘いてみたいとの興味からだった。1ヶ月程度で大した収穫がある筈もなかったが、体制転換後の空港、市場、大学などの混乱した様子を垣間見る体験をした。

§ドイツ旅行
 1995年のクリスマスシーズンに、フランクフルトとハンブルグを中心とした3ヶ所の教会で現地の人達とバッハの「クリスマスオラトリオ」の全曲演奏をする東京の特設合唱団に家内と共に参加してドイツ旅行をした。約一年におよぶこの大曲の週一回の練習はきつかったが、このドイツ“演奏旅行”は楽しい思い出である。この時は大雪となり近年では珍しいというハンブルグのホワイトクリスマスの夜景が美しかった。

§キルギスでの教師生活
 1996年9月首都ビシュケクにある国立ビシュケク人文大学の講師としてキルギス共和国(*)に赴任した。日本ユーラシア協会(旧ソ連圏を中心とする民間の国際交流機関)の要請に応じてのことである。一年間のつもりで行ったのだが、乞われて結局3年間をこの国で過ごした。大学では国際関係学部・日本語科の学生に日本社会全般と歴史・文学(いずれも日本の高校教科書程度)の講義を担当した。その中で印象深い出来事を一つだけ紹介しておきたい。文学の時間で芥川の「奉教人の死」を学生に読ませたときのことである。原文は擬古文体で難しく学生には無理なので私が優しい現代文に書き直したものをテキストにしたが、終章を読み終えると教室が長い沈黙に覆われた。その時一人の女子学生が身をよじるようにして立ち上がり「先生、この物語は悲しすぎます」といって泣きじゃくったことである。私は学生たちがこの切なくも美しい日本の小説に深く共感を示したことに痛く感動を覚えた。
 1999年7月に3年間のキルギスでの教師生活を終えて帰国したが、この3年間は私の生涯のひとつのエポックであったと言えるだろう。

*キルギス共和国は中央アジア5ヵ国の一つで、ソ連邦崩壊後の1991年に独立国となった。東西に連なる天山山脈の西端部約1000キロにおよびその麓や中腹に都市が点在する山岳国であり、雪の山並みや湖が美しい。当時日本で知る人は少なかったが、私が帰国した直後の1999年8月に日本人鉱山技師たちの拉致事件が発生して一躍日本でも知られるようになった。今ではインターネットで検索すれば簡単に詳しい情報が得られるようになった。

§晴耕雨読の現在
 現役時代から40年間におよぶ野菜作りを趣味の一つとしている。現在は約100坪の菜園で多種多様の野菜作りに精を出している。いわば晴耕雨読の暮らしだが、団地の住民で立ち上げたNPO法人による介護事業にボランティアの役員として参画している。人生の大半を共にした会社の知友とはいくつかのグループでの交流を楽しんでいる。こちらもなかなか忙しい。(2013年11月1日)

以上   

       
 
ドイツ旅行:教会での演奏風景
 
卒論指導の場で
 
2000年夏再訪時
前年の卒業生達と公園のビアガーデンで
 
             
     
 
月に2回くらい歩いたビシュケク近郊の山
天山の前山標高2千米地点、この奥に4~5千米級の天山山脈が走る
 
わが家の菜園(10月末の白菜畑)
 
       
写真をクリックすると拡大写真が見られます