氏 名
星野 辰夫
 所 属
東燃化学OB会
 掲 載 日
平成25年11月18日
表 題

 喜寿を迎えて

本   文 


 この度 第26回東燃化学OB会総会・懇親会の席上喜寿のお祝いをして頂き誠に有難うございます。

 私は、昭和30年4月 当初清水工場に入る予定でしたが赴任直前になって和歌山工場に変更になり、知人はもちろん学校の先輩も居なく耳に入る和歌山弁を聞き、群馬の片田舎から随分遠い所にきたものだと実感しました。

 然し ここではハイドロフォーマーの運転、FCCのスタートアップと貴重な体験をさせて頂きましたが、英語の多い職場に驚きました。昭和36年10月石油化学川崎工場に移り、数か月製造部に在籍してから 製造管理、製造技術、システム技術、本社・工業材料部と東和コンパウデングへの出向、出向解除後は品質保証部(ISO-9001)、最後に浮島共同防災の事務局と数年毎に移動し、大袈裟に言うと各々の部署でのカルチャーショックを感じながら、職場では皆さんにご迷惑をお掛けしましたが、願ってもない様々な貴重な勉強をさせて頂きました。
平成9年5月退職後、職業安定所の紹介でガソリンスタンドのセルフ化に伴うスタンドの泡消火設備の設置工事の立会を、西は新潟市、南は沼津市、北は大田原市など新幹線通勤で関東近辺の約30店舗ほどを行いました。次に鉄筋会社に入りマンション工事現場の安全パトロールを主な任務で数年、この中には 問題になったフューザー・姉歯マンション耐震強度偽装に該当するマンションも含まれている事が後で判りました。

 最後に、友人の誘いで新日石(株)塩浜工場の工事立会いを1年程勤めました。道路を隔てて 以前勤めた千鳥工場を横目で見ながらパイプラックの上を右往左往していました。
この時点で 退職後13年経過しました。会社を離れ見知らぬ職場でも勤められたのは偏に東燃、東燃化学の社風、多くの先輩方々のご指導が身体に沁み込み自然体で接することが出来た点にあり 心底 感謝している次第です。

 その後も 適当な仕事が有れば就きたい願望は有りました。然し 今は肉体の退化に歯止めを掛けるべくウォーキングに努めております。これには4つのルートを設け2~3日おきに 2~3時間雨天でない時に励行しています。また、共同防災で知り合った 東燃、キグナス、日石の友人4名で年1-2度国内ドライブを退職以来楽しんでおります。次回は11月末に北九州、耶馬渓から島根県・津和野に掛けてのドライブの計画を立てました。
楽しみにしています。

 最後になりましたが東燃グループの益々のご発展と皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

以上  

   
 

熊本市 水前寺公園にて
左から 東燃・日石・キグナスの友人と本人

 
     
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