氏 名
風間 達夫
 所 属
東燃本社OB会
 掲 載 日
平成25年04月01日
表 題

 古き良き清水工場・会計部の思い出 (その5:最終回)

本   文 


19.江尻社宅〈元気な子供達〉

 江尻社宅には幹部用の一戸建て、若い家族用の2階建てアパート式の住宅と、共同浴場、クラブ(集会所)、子供たちの遊び場があった。会社の延長のようなものであったが、皆気心の知れた人達の集まりでお祭りなど諸行事も行われ和やかな日常であった。敷地内の空き地では子供たちが元気よく走りまわっており、広い共同浴場は幼い子供らの格好のプール替わりで泳ぎを覚えた子もいたようである。
 ある夏の日、社宅内の広場に建てられたお祭り櫓の前で、降旗副社長、SVOCの幹部、大宮工場長他社宅の有志達20数人が揃いの法被(はっぴ)を着て、子供たち40人と撮った記念写真が残っているが懐かしい思い出が滲んでいる。

20.ダンス教室で山を登る

 戦後復興の進展と共に市内のあちこちにダンスホールが開かれた。時代の波に乗り遅れまいとする仲間たちと連れだって清水駅の近くのダンス教室に通い始めた。ブルース、ワルツに続いてタンゴにさしかかった頃、若い女性の教師から“あなたと踊っていると山を登っているみたい。”と言われてがっくり。それをきっかけに止めてしまった。仲間の中には通いつめてダンス教師と結婚した人もいる。

21.「合理化推進委員会事務局」への勤務替え

 最後の2年間(昭和32年4月~34年3月)は、合理化推進委員会事務局の勤務替えとなり、愉快な大森さんのもとで、職務分析など事務合理化の仕事に携わった。
 事務局の部屋は会計部に隣接していたので、会計部の人たちと顔を合わせたり話したりする機会も多く、今までと変わらない雰囲気の中で過ごすことが出来た。

22.その他

 上述した事柄以外に他の部課との関係、本社・和歌山工場との交流、原油の流出事故、台風時の工場敷地内の冠水、西浜寮の火災、東亜寮での臨時生活、夏時間、家庭電化…など断片的にいろいろな情景が浮かんでくるが、50余年の歳月と共にその記憶は次第に薄れてきている。

 清水工場会計部在籍中、多くの人達と共に公私にわたって楽しく過ごすことが出来たが、その後半世紀の間に既に20数人の方々が逝去され、当時のことを語り合う人達が年々少なくなっていくのが心残りである。
 2000年(平成12年)合併により「東燃ゼネラル石油(株)」が発足した時は、何となく里帰りしたような気分がしたが、自分を育んでくれた清水工場は既に無く一抹の淋しさを覚える。
                                          (2008年10月 記)

以上 

       
 
夏祭り:江尻社宅
息子と参加
 
夏祭り:江尻社宅広場
法被姿の親子
SVOCの要人も参加
 
元気いっぱいの子供達
 
             
     
 
会計部の宴会:江尻社宅のクラブ
 
ダンス教室:山登りのようなダンス
 
         
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