氏 名
石橋 光雄
 所 属
東燃清水OB会
 掲 載 日
平成24年08月05日
表 題

 入社の思い出

本   文 

 
 私が東亜燃料に入社したのは、昭和15年4月1日でした。学校も卒業を控え、どこかに就職しなければと思い、清水市内で募集している会社を調べたら、4社ほどある中で東亜燃料工業株式会社清水工場の名前があった。こんな会社は知らないので職安へ問い合わせたところ、袖師町に新設する会社だという事だった。父親に相談したら、新しい会社ならよいのではないかと言うことで願書を提出。まもなく入社試験を行うとの通知があった。当日午前中に学科、午後に面接が行われた。面接では、上がってしまい、何を聞かれて何を答えたのも解らないまま終わった。当然駄目だと思っていたら、3月初めに東燃名の封書が届いたが、どうせ不採用で出社に及ばずの通知だろうと思い、開封せずにおいたら、父親が開いて、おい採用通知で4月1日に出社しろとの通知だぞとのことであった。

 三日ほどして、新しい工場ができる庵原郡袖師町1900番地を見に行って驚いた。工場どころか、あの広大な土地前面に私のせい丈もあるような葦の草が足の踏み場もないほど密生していた。ここに工場ができるのかと思った。4月1日、指定された場所に行った。葦の中に100坪ほどの建物があり、出入口に「東亜燃料工業株式会社清水工場仮事務所」の板書が有り、ここに出勤するのだと思った。当時は、タイムレコーダーは無く、出勤簿で自分の名前の所に印鑑を捺印して出勤した。就業時間は、午前7時より午後5時までの10時間。休日は、月二回、第一日曜日と第三日曜日の2日。但し、祝祭日が年間4日あったので、その祝日があった月は3日の休日となった。

 時はまさに戦時中であり、早く製品を出荷しなければと言うことで、工事は急ピッチに進み、建物・装置ができ、ようやく軌道に乗ってきたと思っていた。昭和20年8月に終戦となり、東燃も軍事産業として、マッカーサーの命により閉鎖されました。その時、私は残留組として残った。その後、約5年後に、平和産業として再開する事となった。

 私は、昭和54年6月まで、39年と4ヶ月、東亜燃料と言う会社に可愛いがられ、人間を作ってもらいました。東亜燃料を去る最後の時、定年退職者を代表して本社で社長の前で謝辞を述べさせて頂きこんな光栄なことはありませんでした。

以上   

 

旅先での記念写真
バス旅行
図書館で

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