氏 名
加納 元行
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成24年04月23日
表 題

 「或る点の水墨画展」を海南市で開催

本   文 


 何だ?水墨画といえば白黒だろうが位の知識しか持ち合わせの無い小生が、故郷徳島県の友人(同窓生)の個展を和歌山で開催する羽目になり、和歌山在住の同窓生(花王OB)らと1年がかりで場所探しをして、やっと過日、海南市で開催しました。その苦労話を聞いて欲しいのか、作品を絶賛したいのか、迷文ですが投稿します。

 まずは『或る点』から説明しよう。画伯曰く、釈迦の哲学の根幹(無、空、悟りの境地)を抽象画として、人間の内面を墨の濃淡で表現する水墨画とのこと。人の一生は一瞬であり、目に留まる点ほどもない。とかなんとかやはり判らないのである。文字では表現出来ないのが或る点なのである。ある点なのか、無い点なのか。ムムムム~~。

 次は展示までの経過です。小生のこまい?車いっぱいに積み込んだ61枚の作品と画伯を乗せて、南海フェリーで和歌山へ開催日前日に到着。会場の天井裏倉庫から展示板を搬出、組み立て、絵の飾り付け、東燃OBや花王OBの助っ人を得て12人がかりで3時間ちょいで終了。会場は画廊に変身した。

 その次は水墨画作品の説明。これは観れば判るのだが説明はややこしい。清水寺や桂離宮の風景画から始まる。次がフェルメールやムンクなど洋画の模写、そしてパブロ・ピカソの目玉ギョロリ等の人物画模写が続く。最後は渾身の仏像群である。興福寺の阿修羅は良く目にしていて納得。東大寺の四天王は大パネルで展示。當麻寺の広目天、持国天等々。作品「無(む)」「空(くう)」は白紙の額縁のみ、何も描かないことで自我や欲望から開放された釈迦の心境表現なのだそうな。

 花鳥風月に代表されるような水墨画を想像されると違うのである。観た瞬間はどの絵も写真?と見間違える繊細な画法で描かれている。雪景色の屋根の雪はふんわりと乗っかっている。やはり水墨画だ。奥行きがある。

 画伯は言う、無名なので「小判鮫スタイル」でへらこい?とか。絵の出来栄えは気力、集中力なのだ。又こんなことも。ブッタもキリストもあの子、南方熊楠やもちろん我々はこの子。親しみをこめて、人に上下は無いことで、あの子この子と呼ぶとのこと。う~ん、子供扱いされているのでは?無いのだ。子いわく・・・・なのか。

 海南市長も来場され、この子の一人として見えられたが無我の境地をどう感じられたか気懸かりだ。和歌山放送の記者取材もあり、ネットで紹介された。夕方の和歌山テレビ報道も。凄いなあ友達。

 展示会の期間中、毎日このような話を聞き、凡人には悟れず。凡人も天才も存在しないと叱られながら終了。さあ片付けだ。迎えの車が来た。帰りのフェリー、時間が無いぞ。遠い昔、会社の仕事以来、本気モード出した感じがする。釈迦の残像が一瞬、頭をよぎった気が・・・・。今度逢ったら、唯我独尊の意味を聞こう。

                                              以上

フェルメールの手紙を書く少女の模写作品
家内と共に会場の入り口にて
画伯と四天王のパネルの前にて

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