氏 名
大橋 益男
 所 属
東燃本社OB会
 掲 載 日
平成23年12月30日
表 題

 百歳万歳(高橋君さんの百寿をお祝いする)

本   文 


 12月22日(木)午前、東燃本社OB会石田副会長と小生大橋幹事が、東武練馬駅近くの高橋君さん宅を訪ね、百寿のお祝い金をお渡ししました。高橋君さんは明治44年のお生まれで、全東燃OB会会員の中で最長寿者となられました。明治、大正、昭和、平成と4つの時代を過ごされた方は、高橋さんの他にはいらっしゃいません。

 高橋さんはお耳が多少ご不自由な他はお健やかで、特にその記憶力の鮮明さには驚かされました。高橋さんには、2年前、丁度東燃が創立70周年を迎えた年に、東燃創立当時のお話の一端をHPに投稿していただきましたが、今回はその当時も含めていくつかのエピソードを伺って参りました。

 それを、年代の古い順からご紹介させていただきます。

 小倉石油の技術部長だった中原延平氏(後の東燃社長・会長)がご長男誕生にいたく喜ばれていたお話(当方から、そのご長男伸之氏(後に東燃社長)も今年、喜寿を迎えられたことをお伝えすると感慨深げでした)。

 高橋さんは、小倉石油にタイピストとして入社され、昭和14年の東燃の創立時に立ち会った後、昭和16年に小倉石油が日本石油に合併され日本石油移りましたが、戦時、東京の大空襲を逃れ、故郷の富山市に疎開したものの、ここでも大空襲に会って川に飛び込み九死に一生を得たお話。

 戦後、友人のご好意により、東京に戻り就職活動をしていたある日、青山墓地にあるお世話になった小倉社長のお墓参りに行った際に、偶然、墓参にいらした小倉石油でご一緒だった当時の庶務課長、吉野省治氏(後の東燃化学社長)にお会いして、東燃への再就職が叶ったお話。同氏には、その後もお世話になり東燃を55歳で定年退職後、東燃化学で嘱託採用され、最後はアルバイトながらも71歳までタイピストとしてお勤めすることが出来たとのことでした。

 総務時代の社員旅行で、自分達が寝る部屋を麻雀メンバーに占拠され、同僚と二人、丁度2人分の布団が延べてあった部屋で就寝したら、そこは上司が寝る部屋で、その上司お二人は哀れ布団部屋で一夜を過ごしたというお話。

 若かりし頃の中原伸之氏に、依頼された英文タイプを仕上げたところ、その作業が大変だったこともあってお礼にと、当時、サンケイ会館別館にあった喫茶店に誘われたが、業務多忙を理由に丁重にお断りしたお話(この話は若気?の至りとご本人は恐縮していました)。

 高橋さんのお話には、時の運、人のご縁にも恵まれてよき会社に勤められた幸せを感じられているご様子が伺えました。これからも、お健やかに過ごされ、我々後進の目標を高めていただくことをお願いし、お宅を辞しました。

 今回の本社OB会役員会での百歳の長寿祝い実施の決定は、1昨年の和歌山OB会、今年のKSSOB会の事例に倣ったものです。こうした事例が多くなってきたため、全東燃OB会では、従来喜寿、米寿に限っていた長寿のお祝いを、来年からは白寿ないし百寿(99~100歳)まで拡大すべく、規定を改訂することを検討しております。                               

  以 上

  写真説明:
    写真-1 百歳表彰状。左から内閣総理大臣、都知事、板橋区長からのもの
    写真-2 ご長寿にあやかって記念撮影
    写真-3 記憶力鮮明な高橋さん
 

写真-1
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