氏 名
川村 克人
 所 属
和歌山OB会(副)
 掲 載 日
平成23年10月01日
表 題

 「和歌山工場礼讃」・・・伝統は引き継がれて・・・

本   文 


 9月24日和歌山OB会に出席、現役の活躍を聞き、ご馳走を頂き、良い気分での帰りがけ、蔵道副会長・HP編集委員に呼び止められた。「副会員とはいえ食い逃げはない。HPに投稿しなさい」との由。こちらこそ願ったり叶ったりと、早速筆を執らして頂いた。

 長年培われた和歌山工場の伝統は今も受け継がれている。宮田取締役工場長は、テレビ・新聞・写真を提示しながら、東日本を襲った災害への懸命の支援活動を説明された。

 日夜兼行、休日も返上してガソリン・灯油をドラム充填し、トラックに満載、道なき道を東北に運び込んだ。更には臨時タンクを現地に据付け、オペレーションも引き受け、血の一滴ともいえる燃料供給で被災地を救援し続けたとのこと。

 「よくぞやったり!」と、後輩現役陣に拍手喝采を贈りたい。ひ弱なインテリ揃いではとの心配は吹っ飛び、頼もしい姿に心より喜んた。戦後、私が小学生のころ、列車からみる工場の中
は瓦礫の山であった。それが今繁栄の中で継続され、今日を迎えている。そして野生的でやや繊細を欠くかもしれないが、弱者を助け無茶でも頑張ってみせる伝統が息づいている。

 私の故郷・串本の大島にも、100余年前途方もない大ごとをやってのけた祖先たちがいる。
明治天皇を表敬して帰航中のトルコの軍艦が大しけにあい、岬沖の岩礁で難破沈没。逆巻く怒涛の中で数十人を救出し、崖を上って民家に収容、鶏や春の種芋まで供出して介抱したという。
 現場は尋常なところではない。崖下から重い船員を運び上げるだけでも極めてきつい。冬を過ごすのに蓄えた食糧を殆ど供出してしまったという。
 
 その行いはトルコでも語り継がれ、小学校の教科書にも載せられている。恩義を重んずるトルコの方は、100年を経た後にイラク戦争で国外避難が出来ず立ち往生していた日本人を、
二機の旅客機を飛ばして、全員救出して呉れたのは誰でも知っている。

 このような祖先の偉業は知らずしらず風土や気質にも取り込まれる。
この9月和歌山県南部を襲った豪雨による風水害でも、被害甚大の那智勝浦町の町長さんは、ご自分の奥様・お嬢様を失いながら町の救済・復旧に全てを優先し邁進された。
神々しい迄のそのお姿に深く敬服しつつも、胸のいたむ思いに駆られた。
紀州に根付く社会のため、人のためにという風土・気質を目の当たりに見る思いであった。

 今回は、和歌山工場の諸君もその片鱗を発揮して下さった。それも、エネルギー供給構造高度化法に基づいて、合理化の対象として工場の存在が論議されている最中に、それは論外だと見事にやってのけてくれたのが嬉しい。和歌山工場万歳。
 

串本橋杭岩から
大島を望む
大島のトルコ軍艦慰霊塔
和歌山OB会に出席中の
筆者

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