氏 名
大峯 登
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成23年08月08日
表 題

 海南市の文化財案内 「岩屋山 金剛寿院 福勝寺」

本   文 


  福勝寺は海南市下津町橘本(藤白峠の南麓)熊野古道の近くに建てられている。福勝寺の開基は延暦23年(804)弘法大師によって創建されたといわれており、高野山真言宗に属している。

  当寺院は本堂と求聞持堂(ぐもんじどう)と鐘楼から成っており、この三棟とも国の重要文化財である。

  本堂は室町末期の密教寺院の様式を備えている典型的な小規模真言密教仏堂である。求聞持堂とは聞き慣れない名前だが、これは真言密教の「虚空蔵求聞持の法(こくうぞうぐもんじのほう)」という行法を行うお堂で、現在の建物は紀州藩初代藩主徳川頼宣公によって建立された建物であり、藩主の祈祷施設として近世前期に遡る貴重な遺構である。

  境内は岩屋山という山号が示すように岩盤を削って造成されており、西側奥には幅20mを越える岩盤から水流が流れ落ちる高さ20mの裏見の滝(流れ落ちる水流を滝の裏側から眺めることができる)があり、滝の裏側奥には不動明王が祀られている。又、当寺院には天狗の伝承も伝わっており、滝周辺には妖気が漂いゾクゾクする雰囲気を感じる。

  当寺院では滝を中心にした真言密教や修験道の修行場として多くの行者がつい近年までここで修行を積んでいた。浄土宗の念仏行者徳本上人もその中の一人で、この滝に打たれて修行をしたという。又、京都の聖護院や三宝院の門跡が熊野参詣をされる際は必ず当福勝寺に立ち寄り参拝をすることが慣例となっていたという。

  当寺院は、平成17年1月から平成20年3月の間に2億5千万円をかけて解体修復工事が行われ、江戸前期の姿に復元された。又、鐘楼の東に田道間守(たじまもり)公の頌徳碑が2基建立されている。

  田道間守については昔の国定教科書にその話が掲載されていたのでご存じの方も多いと思うが、この話は古く古事記に記載されているもので簡単に説明すると、田道間守は垂任天皇の命を受けて、常世の国(現在の中国)にあるという不老不死の霊薬を求めて海を渡り、10年余りの苦労の末霊薬「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ‘橘’)を持ち帰ったが、天皇は既に崩御されており田道間守は垂任天皇の陵(みささぎ)に「非時香菓」を献じ、嘆き悲しんで絶命したという話である。持ち帰った「非時香菓」の苗木は陵や御所の他当福勝寺の登り口である「六本木の丘」にも植えられたといい、現在は橘本神社境内とその宮司宅に植え継がれている。もちろん御所に植えられた「非時香菓」は「右近の橘」として現在まで植え継がれているのである。

                              紀州語り部  大峯 登

本堂及び求聞持堂
螺旋状の登り階段
裏見の滝
田道間守公の頌徳碑

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