氏 名
森   規
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成23年04月11日
表 題

 鳴神社

本   文 


 私たち在所の氏神様である鳴神社(なるじんじゃ)は紀伊続風土記によれば、約1500年前大和朝廷の祭祀を司ってきた忌部(いんべ)氏の祖神天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祭神として創建された古社で、和歌山市鳴神の産土神である。

 中世当社は、社傳によれば神田15町を有し、境内も広大で3町以上ありと記されており、往時の隆盛を知ることができる。天正13(1585)年、豊臣秀吉の紀州太田城水攻めに際し、当社の付近は堤防が築かれ、土が掘られ荒廃を極めた。当社も社殿、神宝のことごとく失い荒廃した。

 江戸期に入り、紀州初代藩主、徳川頼宣公の入国により旧地での再興がすすめられ、現今の規模で再建された。境内の広場では、花見の宴、盆踊り、高齢者のゲートボウルが行われる。
節分にはどんど焼きが行われ、近隣の人たちは、しめ飾り、お守り、使った箸等を持ってきて燃やす。

 また当社の南向かいに鳴武神社がある。古くから別名「壷御前」といわれてきたが、祭神の鳴武大明神は女神で、5世紀ごろ朝鮮百済の国から紀伊国に渡来し、当地の良水を使って日本に初めて酒造技術を伝えた百済国王の第4王女である。もとは社殿があったが、天正の兵火で喪失し、今は跡地に石祠が建てられている。
                                             以上

鳴神社
鳴神社1
鳴神社の桜
鳴武神社

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