氏 名
大峯 登
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成23年01月14日
表 題

 海南市の文化財案内 慶徳山 長保寺

本   文 

 海南市下津町上に建てられている長保寺は文化財の宝庫です。

 長保寺というと現在は紀州徳川家の菩提寺として有名ですが、創建は古く長保2年(1000)一条天皇によって建立された勅願寺であり、年号寺院でもあります。一条天皇の時代というと平安中期の藤原道隆、道長で代表される藤原家の絶頂期であった。そしてこの長保寺はその後の南北朝の動乱期も、秀吉の紀州攻めの時も被害を蒙ることなく無事に乗り切り、徳川期に入って初代の紀州藩主徳川頼宣公によって紀州藩徳川家の菩提寺に定められた寺院である。

 長保寺の大門、本堂、多宝塔は国宝文化財であり、大門正面に掲げられていた山号の扁額も又国宝です。現在掲げられている扁額は頼宣公が「李梅渓」に模写させた扁額であり、国宝の扁額は「妙法院二品親王堯仁」の直筆で宝蔵に収蔵されている。このように寺院の門と堂と塔の3点がそろって国宝とされているのは、国内で奈良の法隆寺とここ長保寺だけである。

 大門は和様を基調とし、細部に禅宗様(唐様)を取り入れた室町初期の代表的な楼門である。又両脇の金剛力士像は県指定の文化財で鎌倉~室町時代の仏師湛慶の作といわれており、力量感溢れる力士像である。

 本堂は旧来の和様に当時伝来の粽柱といった唐様の手法を巧みに取り入れた和様唐様折衷様式の典型的な鎌倉時代の建築で、その姿は重量感に溢れておりすばらしい。

 多宝塔は大門や本堂と様式を異にして純和様の鎌倉時代の建物である。一重と二重の屋根の勾配がそれぞれ異なっており、その釣合いを勘案した意匠が塔の安定感と均整のとれた優美さを与えてくれる。相輪の九輪は最上部の一輪が欠落しているが、塔としての姿に遜色はなく端麗である。

 以上が長保寺の国宝建造物3点の解説であるが、その他の国の重要文化 財や紀州藩主の墓所、隠れた秘話等については次回に述べたいと思います。

                       紀州語り部  大峯 登
 

                                    以上

1.長保寺大門
2.長保寺本堂
3.長保時多宝塔

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