氏 名
大峯 登
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成22年 03月08日
表 題

海南駅南高架下の万葉歌碑

本   文 


紀伊(き)の海の   名高の浦に   寄する波
音高きかも   逢はぬ子ゆゑに

巻11-2730  詠人不詳


               所在地   海南市名高 海南駅南の高架下
               揮毫者   佐々木政一氏 (海南市民病院副院長)
               建立日   平成13年 9月 吉日

 この歌碑は海南駅南の高架下 国道370号線の駅側へ平成13年9月に 建立されたもので、名高の浦を詠んだ歌4首の内の1首が刻まれている。
 ちなみに旧海南市の万葉歌は、名高の浦の歌が4首、黒牛潟の歌が3首、そして有間皇子関係の歌が2首である。

 歌の意味は「紀伊の国の名高の浦に打ち寄せる高い波音のように、まだ逢ってもいない人との噂が高く立ってしまったよ」であろう。これは「名高」という地名に浮名が高く立つを掛けて詠んでいる。
 歌碑の建つこの地から国道370号線を隔てた南東部で、昭和30年代「昭南工業(株)」が捺染業でめざましい産業活動を行っており、海南市の産業界を牽引していた。
 この時期海南市の三大地元企業というと、この「昭南工業(株)」と、同じ捺染業の「笠野染工(株)」、そして「野上電気鉄道(株)」であった。しかし昭南工業(株)と現在の国道370号線北側にあった笠野染工(株)は共に廃業し、跡地は双方とも一般の住宅地となっており昔の面影はない。又野上電気鉄道(株)も平成6年4月に廃業となり80年の歴史を閉じている。
 又歌碑の南側にあった県道野上線(現在の国道370号線)の踏切は、平成10年10月に紀勢線の高架化によってなくなったが、それまでは海南東部の人口増加や企業増加による車の増加と紀勢線複線化による電車の増便によって生じたこの踏切での交通渋滞は通勤や物資の運搬に大きな支障を与えていた。
 今、この歌碑のそばに立って周囲を眺めると、かっては波打ち際であった万葉の昔からの時の流れによる情景の変化と、企業の栄枯盛衰がひしひしと感じられる。

                     紀州語り部   大峯  登

万葉歌碑 近景
万葉歌碑 中景
海南駅南のガード
笠野染工跡地

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