氏 名
山口一郎
 所 属
東燃清水OB会
 掲 載 日
平成22年01月23日
表 題

米国OB仲間とワシントンの桜

本   文 


 Mr.S・A・Hornへ (クリスマスカードより文章抜粋)

 昨年末のカードで夏はPennsylvania,冬はArizonaの土地で奥様と息子さん家族とにぎやかにお過ごしの様子、何よりと思います。私達も二人住まい、楽しく毎日を送っていす。

 1977年11月、シンガポールMarco Polo HotelとMobil Jurong refineryを会場として開催されたOSPAC研修会では大変お世話になりありがとうございました。

 あれから三十数年、カードなどを通して互いに元気でいることを確認し合い、深い絆を繋げていることを嬉しく思います。お互い定年退職から日が経ち、OB Clubのメンバーになりました。そちらでは年2回Luncheon meeting(午餐会)を開いているそうですね。さぞ盛り上がることでしょう。私達東燃OB会も、会社からの厚い援助をいただき、年1回、春、3月、桜の季節に大勢仲間が集い、楽しい歓談の時を持っています。

 ところで昨年の春、Washington D・Cの桜の花見に行ってきたとのことですね。実は、そちらの桜は私の町と切っても切れない強いDNAを共有しているのですよ。

 私が日課としている散歩コースの公園に植えられている桜とポトマック河畔の桜がファミリーなんです。世界は狭いなと感じますね。私達二人とも高齢者の仲間入りをしました。身体に気を付け、健康で明るい2010年をお送りしましょう・では さようなら。

 「ワシントン・ポトマック河畔の里帰り桜」について、公園にある桜のファミリーストーリーを紹介します。この広場周辺の桜は、昭和56年に東京都足立区がワシントン・ポトマックから里帰りしたものを昭和59年に接木養成し、これを清水市(現静岡市清水区)が譲り受け、船越公園の中央広場に昭和60年3月、ソメイヨシノ25本、アケボノ25本植えたものです。そもそもポトマックの桜は、明治40年、アメリカ陸軍長官タフト(後の第27代大統領)夫妻が訪日した時、タフト婦人が日本の桜を欲しいと言うので、尾崎行雄東京市長が植木屋から桜の苗木2,000本を買いワシントンに送った。ところがアメリカの植物検査で病害虫が発見されたので、全部焼き捨てられたのである。これを知った東京市長は名誉挽回のためにと農商務省農事試験場に苗木の育成を依頼した。その際、興津園芸試験場(清水区)で熊谷 八十三 ( ヤソミ ) 技師(後の興津園芸試験場長)が担当することになりました。穂木は東京荒川堤の桜並木からとり、興津で明治44年2月に接木し、ソメイヨシノ他十数種類六千数百本をアメリカへ送るために、日本の名誉をかけて熊谷技師は肥培管理に努めました。翌年の45年2月8日、この苗木は汽車で興津駅から横浜駅を経てワシントンに3月下旬に到着し、農務省の専門官が綿密な検査を行ったが害虫も病害もなく、ワシントン・ポトマック河畔に三千数百本が植栽されました。(他三千本はニューヨークに送られました)

 現在もワシントン・ポトマック河畔の桜は毎年咲き乱れ、桜まつりが催され、日米親善のためのシンボルとされています。このような歴史の中で、今では船越公園の里帰り桜もポトマックに負けず劣らず、毎年見事な花を咲かせ、市民の憩いの場として、清水区の桜の名所となっています。

                                             以上

シンガポール ジュロン製油所前で
ホーン夫妻

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