氏 名
大峯 登
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成21年12月14日
表 題

海南の万葉歌碑案内 (黒江 中言神社の万葉歌碑)

本   文 


いにしえに  妹(いも)とわが見し

ぬば玉の  黒牛潟を  みればさぶしも

            巻9-1798   詠人 柿本人麻呂歌集

   所在地   海南市 黒江 中言神社境内

   揮毫者   谷口 東峰 (大学教授)

   建立日   平成12年 4月 1日

 この万葉歌碑は、昭和37年頃から神社拝殿に掲げられている板碑と同じ万葉歌を、平成12年4月に石碑として建立したものである。

 大宝元年(701)、持統・文武両帝が紀温湯(現在の白浜温泉)への行幸の途中、ここ黒江に立ち寄られ遊興されたが、柿本人麻呂も妻と共にこの行幸にお供をしていたのであろう。この歌はその後人麻呂がこの黒牛潟を訪れて、その時のことを思い出し、この浜でいっしょに遊んだ今は亡き妻を偲んで詠んだ歌である。

 この歌の意味は「その昔、愛する人と共に眺めたこの黒牛潟を、今は一人で眺めているのはむしょうに寂しい」であろう。歌中の「ぬば玉」は黒や夜にかかる枕詞である。

 歌碑の建つ「中言神社(なかごとじんじゃ)」の神社名は、「神」と「人」との「中」を取り持つ「言」がその由来であると言われている。境内には歌碑の他に「黒牛の像」と名水「黒牛の水」が湧き出ている。

 ここ黒江の名は「紀伊続風土記」に「此地、古は海の入江にて、その干潟の中に牛に似たる黒之石あり。満潮時には隠れ、干潮時には顕わる。因りて黒牛潟と呼ぶ。黒江は黒牛江の略語なり」とある。この黒い牛の形をした岩が現在のどの辺りにあったかについては、「名手酒造」の裏手という説と「紀陽銀行」の南側という説が有力であるが、特定されてはいない。

     「黒牛潟 牛は名さえ埋もれて

         今は黒江と 呼ばれけるなり」

                        紀州語り部  大峯 登

                                              以上

            

万葉歌碑
黒牛の像
拝殿の板碑
中言神社

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