氏 名

鷦鷯 守

 所 属
東燃川崎OB会
 掲 載 日
平成21年4月10日
表 題

ご無沙汰しています(ベトナムから近況)

本   文 


 毎日がフリーの生活に倦みはじめていた時、ベトナム第1号製油所プロジェクトから声が掛り、既に滞在5ヶ月になりました。RFCC(70KBD)のグループに所属して、スタート手順書を作成するデスクワークが主です。トッパーは運転を開始し、CCRはオイルイン直前、RFCCはLGO循環が迫っています。製油所経験の無い国のため常識が通じず、すべてがスローペースです。

 今は、乾季で気温は30℃、風があるので夕方は比較的過ごしやすく、歩道に机と椅子を置くだけの屋台店が到る所でオープンされます。物価はびっくりするほど安く、地元ビールの缶が60円程度、宴会も1000円でお釣りがきます。牛肉は硬くて人気なく(村の牛は痩せています)、鶏肉やヤギ肉が人気で、鶏は庭を走り回っていて、指定すると捕まえてその場で調理、炭火焼です。食あたり防止に野草(ミント系からドクダミ系まで)が供されます。漸く抵抗無く手が出るようになりました。

 滞在キャンプは、プロジェクト専用に建設されたもので、空調付きの居室、バー、トレーニングルームまであり、ゴルフ設備がないのが残念ですが、予想に反して快適な設備です。食事は、地元の食堂(コム)あるいはキャンプ内食堂です。キャンプ内には、日本食メニューがあり助かっています。

 蚊は多く、半ズボン、素足だと確実に餌食にされます。靴下の上からでも攻撃してくるので厚手のものを愛用しています。日本製の蚊取り線香には抵抗力がないのか、飛んでいる蚊が突然落下するコマーシャルのような場面を目撃できます。

 キャンプから工場へはシャトルバスで15分、休みは日曜日だけのため、自由時間が少なくて多くは訪問できないのですが、片道2時間程度のところにある史跡を探しては訪問しています。

 + ミーソン遺跡(My Son):飛鳥時代にベトナムで繁栄したチャム王朝の遺跡で赤煉瓦を積み上げた建築群です。まるでインカ遺跡のミニチュア版です。生贄などの儀式が行われていた原始宗教遺跡で世界遺産指定

 + ホイアン旧市街(Hoi An):江戸時代に日本が鎖国する前は多くの日本人が住んでいた貿易港、16世紀には 華僑・ヨーロッパ商人達の東南アジア貿易の中心地、ここも世界遺産指定

 + ソンミ村(Son My):ここは、ベトナム戦争最大の住民虐殺事件があった村。ベトコン村の疑いをかけられて村民400人のほとんどが殺された場所、記念館が建ち、焼け跡を再現保存

                                                 以上

キャンプ
食堂
通勤バス
ミーソン遺跡

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