氏 名
小峯 登
 所 属
東燃和歌山OB会
 掲 載 日
平成21年1月16日
表 題

大崎の万葉歌碑

本   文 

 
 大崎の万葉歌碑

    大崎の  神の小浜(おばま)は  狭(せば)けども

    百船人(ももふなびと)も  過(す)ぐといはなくに

         巻6 1023   詠人 石上乙麻呂

    所在地  海南市下津町大崎 大崎港入口

    揮毫者  島崎 保雄氏

    建立日  平成7年1月28日

 この歌の詠人は石上乙麻呂(いそのかみおとまろ)卿で、石上氏は古来からの名家物部氏の宗家である。 石上乙麻呂は、家柄、人格、才能、風貌共に優れ、当代一流の貴族であり、有数の文人であった。

 天平11年(739) 3月28日の「続日本紀」の記事に「石上乙麻呂、久米若売を奸す罪に坐りて土佐国に配流さる。若売は下総国に流さる」とある。風貌優れた名門貴族で人気の高い文人と、当代きっての実力者藤原宇合の若い未亡人との恋愛事件は、都人の間で格好の話題となった。 

 この乙麻呂が土佐国に配流される時の歌が四首「万葉集」に収められている。その中の一首がこの「大崎の万葉歌碑」に刻まれている歌であり、もう一首が仁義の「かしこ恐の坂の万葉歌碑」に刻まれている。

 歌の意味は「大崎の神の小浜は狭い港だが、海上を往来する船人は必ず立ち寄って休息し、英気を養ってゆくのに、自分は配流の身なので上陸もできずに土佐国に流されてゆく」と、あわただしく引き立てられてゆく配流の身の悲哀を詠っている。

 大崎の港は北と東西を山に囲まれ、南に小さく口を開く奥まった入江で、外海がいかに荒れようとも湾内は波一つ立たず穏やかなため、船人達はこの港に神の存在を感じてここを「神の小浜」と呼んだのだろう。大崎はこのように湾内はいつも平穏であるため、荷役だけでなく避難港や風待港としても大いに栄えたのです。

 現在、対岸には石油の積み出しで賑わう東燃桟橋が見え、古の港大崎と新旧の港が対峙しているのもおもしろい。

 又、歌碑の建つこの地は「和歌山の朝日・夕陽百選」に選ばれた場所で、木の葉型のモニュメントが建てられており、ここからゆったりと海に沈んでゆく夕陽を眺めていると心がおちつきます。

               紀州語り部  大峯 登

大崎の万葉歌碑
大崎の万葉歌碑遠景
大崎港
歌碑から眺める夕陽
対岸の東燃桟橋

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