去る11月20日、広報室時代に大変お世話になったAさんがB新聞社を定年退職されたのを機に、久しぶりに広報室立ち上げ期のメンバーが銀座に集合し思い出話に花を咲かせた。
東燃における広報機能は、今から25年前、昭和59年10月、当時の中原副社長の肝煎りにより広報室が発足した時を嚆矢とする。当初のメンバーは宮井達治室長以下、中垣紘一さん、北川洋美さん、石田正志の4人であった。
その後、社報「とうねん」編集長の松沢康彦君が加わった。発足当初は右も左も分からず、新聞記者や他社の広報部から多くのアドバイスを受けながらの未知の船出であった。
石油は経団連会館のエネルギー記者会が担当していた。新米の広報担当者にとって、こわもての記者連中がたむろする記者会には入っていくのさえ勇気のいることであった。
そうした中で、広報のあり方など、何くれとなくアドバイスをいただき、最もお世話になった新聞記者の一人が当時エネルギー記者会に所属していたB新聞のA氏であった。
A氏との交友はその後も途絶えることなく続いているが、今回は4代目広報部長の村山祐二君も加わり、マスコミVS企業広報という緊張関係の昔を懐かしく思い出しながら旧交を温めあった。
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